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> 「元木大介」の引退…
ジャイアンツで最も好きな選手だった…。
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彼を最初に見たのは、大阪・上宮高3年の'89年春・選抜甲子園。決勝の対東邦戦にサヨナラ負け…。その瞬間ガクリと膝を落としながらも、2年生エースだった宮田(後にダイエー)の肩を抱き、ベンチへ戻るキャプテンらしい姿は当時中学生で野球小僧だった私の心を揺さぶったものだ。その夏、再び甲子園へ戻ってきた彼は早速初戦で2本塁打する。野球選手としては決して大柄とは言えない身体で、大飛球を放つ。そのバネの利いたスイングは天性の打撃センスを感じさせ、私を虜にしたものだった(お盆の墓参りの時間帯にもかかわらず、TVに噛り付いていたのを思い出す…)。
e0000839_0383350.jpgその年のドラフト、ダイエーからの1位指名を断り、1年間のハワイでの浪人生活の後、晴れて翌年念願の巨人軍入りを果たす。
巨人では主砲とはなり得なかったが、右打ちやバント等の小技を身に付け、時には一発長打、パンチ力のあるバッティングを披露した。典型的な”ヤマ張り”バッターで、ツボに入った時の打撃には目を見張るものがあった。名捕手・古田をして、「彼がどの球を待っているかわからない」とまで言わしめたプレーヤー。
とにかく器用で”野球センスの塊”。おそらくキャッチャーとセンター以外のポジションはすべて守ったことがあるように記憶する。延長戦の故障等で捕手が足りなくなった場合には”第3の捕手”としての準備をしていたこともあった。今では「ユーティリティ・プレーヤー」という言葉はよく耳にするが、その始まりは彼でないかと思う。「曲者」・「スーパーサブ」・「マルチプレーヤー」等、彼には様々な異名も付いた。足は鈍足であったが、併殺を防ぐ2塁への”殺人スライディング”の名手で(時には守備妨害を取られはしたが…)、また隠し球も得意で野球選手に必要なズル賢さを兼ね備えていた。
e0000839_0384860.jpg度重なるけがや怠慢と指摘されたこともあるふてぶてしい練習態度がなければ、もう少し活躍できたと思うし(事実、まだまだ他球団では貴重な戦力として扱われるとも思う)、だけれども巨人一筋で終わることもすべてひっくるめて、これが元木大介の生き方と思えば、ちっとも悲しくはない…。
それでも一体、あの時、ダイエーに入団していたら、彼の野球人生はどうなっていたのだろう?「たら・れば」が通用しないのは野球も人生も同じだ。
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by issa-izm | 2005-10-17 00:33 | GIANTS日記